ひびはひかり

これまでの日々、これからの日々

東京を夢見て②

その日は、冬晴れで気持ちの良い日だった。試験が終わり、その足で井の頭公園に向かった。JR吉祥寺駅の南口を出て、マルイの横の路地を歩いた。古着屋や喫茶店がずらっと並んでいて、今は移転してしまった焼鳥屋「いせや」もあった。路地にもくもくと溢れ出る煙を抜けて階段を降りると、緑のなかに大きな池が広がっていた。わたしは思わず声をあげた。大きな、大きな公園。故郷の街でも、京都でも感じたことのなかった感動に似た何かが迫り上がってくるのが分かって、少し緊張しながらすぐ近くのベンチに座った。

少し先を見渡すと、公園の中央に大きな池があり、その周りをぐるりと囲む様に木々が生い茂っている。所々にベンチがあり、小さな屋台も出ていた。あちこちで子どもたちが走り回っていて、池沿いの道を様々な年代の人が歩いたり走ったりしている。池は、冬の透き通る日差しを浴びて、きらきらと乱反射していた。穏やかな時間が流れていた。池に漂うボートをぼうっと眺めていると、心が浄化されていくように思えた。

そのうちに、小さな女の子と父親らしき親子がやってきて、わたしが座っているベンチのひとつ前に座った。

それからどのくらいの時間が経ったのだろう。時刻は夕方に差し掛かり、少しずつ陽が落ち始めていた。寒さを感じてふと顔を上げたそのとき、前に座っていた親子の背中越しに見る井の頭公園の景色が、急に輝きを増したようにみえたのだ。それから走馬灯のように、今日これまでの日々の記憶が頭を巡った。早々に内定を掴んだ同級生たちのこと、進路を心配している親のこと、大学4年間で一度も恋人が出来なかった自分のこと、進まない卒論、不透明な未来。長く続いた就職活動は、これまで積み上げて来た自信をいつの間にか奪ってしまっていた。誰にも認めてもらえないかもしれない。誰にも必要とされないかもしれない。それでも今、目の前に広がるこの景色は、わたしの存在を受け入れ、「そこにいていい」と言ってくれたのだった。

あまりにも劇的な瞬間だった。奇跡というものが、ドラマや映画の中でだけでなく、わたしの人生にも起こりうるとしたら、今がその時なんだ。そう感じた。

その親子に気づかれないように、そっとその後ろ姿を写真に撮ってから公園を後にした。駅に戻りながら「この公園を生活圏にする」と心に誓った時のことを、今でも覚えている。

大学卒業を控えた2011年の一月末、わたしはあの日試験を受けた会社から内定の連絡を受け、無事に東京行きが決定した。そして大学を卒業し、卒業旅行を楽しんだ数日後に、そう、東日本大地震が起きたのだった。